口に入れられていた飴は、どこか花の香がして、顔を離したときには二人の間にふわふわと漂っていた。

「そんな顔で睨まないでください、いえ、無理もないことですが。」

阿木は蒼の頬を撫でようと手を伸ばしたが、蒼の手が出る方が早かった。


乾いた音に驚いたのは蒼自身だった。

「あ、」

心もとない顔で自分の手を見つめると、しゃがみ込んで言った。

「なぜ、こんな、あなたは、」

同じようにしゃがみ込むと、阿木は自分の頬を撫でながら囁いた。

「なぜ」

その声があまりにも優しいので、蒼は戸惑った。何をしている、さっさとここを立ち去って、席に戻らなければ。

頬を打っただけで終わりにしなくてはならない。余計な話をして、なんになる。でも・・・・。



でも。



さっき、この男はなんと言った?



―緑卯の菓子にはどのようなものが、と。



緑卯、と言わなかったか。







「倶璃姫、なぜ」

阿木の声は水中から問いかけてくるようだった。

阿木はまだ頬に手を当てている。そんなに強く打ってしまったのだろうか。

ぼんやりと蒼は阿木を見上げた。

「なぜ、と問われるのですか。理由などおわかりでしょう。それに、」


頬から手を外すと、今度こそ蒼の頬を優しく撫でた。花の香りは、まだしている。飴というには小さすぎたそれは、とうに蒼の口で溶けていた。

「怒ったのなら、もっと強く叩かねば、男は怯みませんよ、姫。あのように優しく打っても、私ほどの男にとっては心地よい触れ合いでしかない」

ようやく、蒼はゆっくり、まっすぐに阿木の顔を覗き込んだ。この男が怖い、恐ろしい。それなのに、なぜこんなにも優しい声で語りかけてくるのか、

分からなかった。こんなふうに囁かれると、微笑んでしまいそうになる。この男よりも、意味の分からない感覚に支配された自分が恐ろしいのかもしれない。




「あなた、だれ」

蒼は自分の声が信じられなかった。何を言っている。決まっているではないか。しかし目は瞬きも忘れ、阿木を見つめるばかりで、足は一歩も動かなかった。

「私、ですか。あなたは私に見覚えがあるのですか。ないのならば、そのまま、私はあなたの阿木、でしょう。そう思いたいのであれば」

囁く声は相変わらず優しかった。たまに掠れるその声に、蒼は眩暈を覚えた。怖い。目を瞑ってしまいそうになる。

ですが、と言うと、阿木はもう一度蒼を抱きしめた。


「見覚えがあるのなら、これは、きっと決まっていたことなのですよ。私には少なくともそうした確信がありました」

愛しそうに、首筋に顔を埋め、ああ、と溜息をついて、阿木はますます強く抱きしめた。頭の後ろに回った掌は大きく、

彼の腕の中にいる自分の小ささを知った。足の間にすっぽりと抱え込まれて、もはや動くことなど叶いそうもなかった。


「あ、き、さま」

離して下さい、と言いたいのに、阿木はすぐに遮った。

「あなたの想い人はここにはいないのでしょう。遠い、森の中で、あなたの帰りを待っているのですか」

「う、」

烏吠、と言いそうになって蒼は慌てた。この口が、本能に従って名を呼ぶ前に、この男から離れなければ、みなを危険に晒すことになる。

もう、何もかもきっと知られていて、遅いのかもしれないが、なるべくなら危険を減らしたかった。

「離して、お願い」

やっと、静かにそれだけを言うと、阿木は困ったような顔をして、すばやくもう一度唇を重ねると、蒼を立たせた。

「離しましょう、今はこれまで」

先に宴に戻りますよ、と告げると、足早に去って行った。

蒼は呆然としながらも左右に頭を動かした。急にされた口づけ、最後にされた口づけ、その両方から逃れられなかった。

足がすくんで、目も耳も、じっと彼の声、しぐさ、瞳に貼りついたようにじっとしていた。急に音が戻ってきて、耳に虫の声が届くと、

蒼は頬の涙が阿木に拭われて、もう乾いたことを知り、ふらふらと宴への廊下を戻って行った。烏吠の腕は、今は自分の元には届かない。

しっかりしなければ、命が懸っている。わたしのも、みんなのも―。


あいつは私達が緑卯の者だと、とうに見抜いていたのだ。しかし、あの長と兄は気付いていない。気付いているなら、この宴の何もかもが、

時間と金の無駄だからだ。空虚な期待を、敵を弄する為に芝居することが、蒼達を捉える最善の策とは思えない。


唇に残る感触を袖で拭うと、宴の光が戸口から柔らかく漏れていた。



とにかく冷静にならなければ。そう思って戸口の傍に立った時だった。



鋭い、眠気にも似た眩暈に襲われて額を覆うと、戸口で倒れこみ、そのまま上体が広間に投げ出された。


「姫!」

すでに席に戻っていたらしい阿木が、立ち上がり、走って近寄ってくるのが見えた。来るな、と叫びそうになったが、阿木は蒼を抱き起こすと、侍女に叫んだ。


「誰ぞ、部屋と水を!」

そのまま抱きあげられると、侍女が走って行ったその後を阿木は追った。

降ろせ、やめろ!眠気はにぶい頭痛と共に一層激しくなるばかりだった。烏吠の声と景の声が後ろで響いたが、迩莉がとりあえず休ませて差し上げるよう、

お部屋にお運びします、すぐにご案内致します、と焦りながら口にしているのが聞こえた。どうやら本当に驚いているようだった。


「ん、う、」

声が漏れると、阿木は少し急かされたような声で、静かに言った。

「私のせいですね。申し訳ありません。貴方の顔色が悪いのに気付かなかった・・・!」


きっ、と睨むと、阿木はそれに臆せずにまた静かに言った。

「許して下さい。私のせいです。」

「い、や!なに、を、言って、」

この男は、何をとぼけているのだろう。くらくらとする頭では考えがまとまらない。とにかく降ろしてくれと訴えるが、御辛抱を、と繰り返すだけだった。


まるで、先ほどのことなど無かったかのように、足早に廊下を急いだ。




あの、飴と言うには小さな甘い結晶。口づけで味わう余裕など有りはしなかったが、あの花の香りには覚えがある。



昔、よく羽陽の家に遊びに行った時に咲いていた、青白い花だ。確か、火馬、ほの、め・・・・。ホノメの実だ・・・・。


「どうか、私を信じて、大丈夫。今薬師を呼びます。」



花の名前を思い出したところで、もう目を開けていることはできなくなった。阿木が何者で、どこまで知っているのかは、目を閉じる寸前まで、分からないままだった。

ホノメの力には敵わなかった。芳しい香りが、目を閉じてからも暫く漂っているのを感じた。














ようやく部屋に通された時、烏吠は気が狂いそうだった。増してや褥の横に阿木がいて、蒼と同じ匂いがこの男から漂っていることに気付いた時、

苛立ちを抑えることができなかった。


「なぜ私たちが部屋に通されるまでに待たされねばならなかったのか、お尋ねしてもよろしいか。」

黒髪に黒い瞳で、凛とした刃のような男は阿木をすぐにでも斬り捨ててしまいそうな瞳で厭味を言った。


「芭阿流」

四津樹が静かに制すると、他の男が言った。

「だが、芭阿流の言うことも尤もだ。なぜ私たちがこれほど主君と隔てられなければならない。

このような時こそ私たちの立場と倶璃姫の心を尊重すべきではないのか。」

部屋は灯りに照らされて、壁を淡く、明るく染めていた。倶璃の眠る褥は床から少し持ち上がった、寝台の上に敷いてあった。

この寝台の細工は見事なもので、緑色に染められた木肌は滑らかに磨きあげられており、そこに幾つもの神獣の姿や花、宝石がまるで

生きているかのように精巧に彫られていた。緑の寝台は明らかに賓客用で、倶璃の待遇は恐らく最高のものなのだろう。侍女たちは、

こうしている間にも甲斐甲斐しく世話をし、目が覚めた時のために果物や水や酒を寝台の横の卓に並べて言った。どれも最高級のものばかりだった。


しかし倶璃のもとへ行くことが許されたのは倒れてからおよそ四半刻後(30分後)で、この芭阿流という男が迩莉に詰め寄り、

大声を張り上げて漸く今に至るのであった。本来なら初めから同行が許されて然るべきであった。


「他意があると見て良いのだろうな。今回は川嘩との盟約が目的の訪問であったが、残念だが振り出しに戻ったようだ。」

おやおや、と笑って阿木はみなに椅子をすすめた。長い黒の衣が、床を滑って涼やかな音をたてた。

「どうか、少し落ち着いて下さい。倶璃姫が起きてしまいます。」

深く、よく響く声は阿木が思慮深く清廉な人物であることを示唆していたが、芭阿流には、倶璃を例え一時でも自分から隠した男に、

信用という言葉など見出してやるつもりは微塵もなかった。


「御説明、頂けなければ私にも考えがございます。今回のことは、たかが無官の姫のことと思わないで頂きたい。川嘩を交渉しやすい海の蛮民と

お考えのようだったと父に申し上げることになるでしょう」

四津樹はいつものように冷静に、しかしいつにも増して鋭い笑顔で阿木に迫った。


「ええ、今、説明させていただきますよ」



すると阿木は皆を座らせ、自分もまた向かい合う形で椅子にこしかけた。倶璃の手を、四津樹はずっと握りながら、顔を阿木に向けたまま、

夜の獣のようにじっと阿木を覗っていた。

「倶璃姫は、私の妻です」

部屋中に沈黙が満ちると、阿木はうっとりとして、満ち足りた笑みでこう言った。

「ええ、確かに、私の、妻になる娘です」



そこまで言った時、芭阿流は出されていた杯を素早く傾けると、阿木の顔に酒を打ち降らせた。



「わが姫を侮辱してどうするつもりだ。貴様ごとき無官の男に、倶璃姫の名を語ることなど本来ならそれすら許されぬ」

静かに今までずっと押し黙っていた大男が言った。芭阿流は黙ったまま冷たい眼で阿木を観ていた。杯を握った手は卓の上で

硬く握られていた。しかし感情は一切消し去っていた。



「無官というのなら、倶璃も同じです。しかし、」

四津樹が囁くように言うと、大男は後を継いで押し殺したように言った。

「倶璃姫が無官なのは、官を授ける必要もないからだ。貴様等のように金で地位を手に入れ、

他国への侵略という略奪の歴史しか持たぬ人間には理解の及ばぬことであろうな。」



みな、ここに阿木しかいないことを気配で確認した上で、阿木の言葉を引き出すように侮辱の言葉を並べ立てた。

そうなのだ、いっそここで同盟が為ろうが為るまいが、烏吠たちには大した違いはないのである。

緑卯は即ち川嘩であったから、事実冗荏は知らぬうちに敵を城内に入れ、国の周りに敵の潜伏を許していたのだった。

同盟などどうでもいい。目的は赫をみつけ、その赫に知恵と力を貸している者を始末することだ。

それが終われば潜伏している者の力を借りて冗荏を去り、体制を立て直して応戦することは十分可能だった。


「芳しい酒だとは思いませぬか。まるで倶璃姫のよう」

顔を伝う酒が唇を濡らすと、舌で舐めとって阿木はつぶやいた。


「芳しい、美しい方」

感嘆するような声で、切なげに言う声は、芭阿流の眉を顰めさせた。


阿木はもう若い男ではなかったが、美しく、長身で、その所作は確かに王家の者の物腰であった。

銀色の髪と、灰色の瞳はちらちらと揺れる灯りによって輝いていた。それこそ、本当に美しい、精巧な彫刻のような容姿だった。

果実酒であったらしく、一口も芭阿流が口にしなかった酒は、赤い透き通った色を頬や髪に散らしていた。

黒い衣は所々漆黒の染みを作っていた。


宴の席では単なる整った容姿の男くらいに思われた阿木であったが、近くで見るとその美しさは匂いたつようだった。

それが、夜の灯りと酒の香りで嫌というほどに強調されていた。芭阿流はその美しさに不気味なものを感じてますます眉を寄せた。


「酒で禊をしたいのだろうが、生憎もう私の杯には残っていない。酒を注ぎ足し今一度私から杯を受けるか、口を割るか、どちらか選べ」

芭阿流は彼の口が三日月のように弧を描くのを見つめた。

「いいでしょう」


ゆっくりと顔を倶璃の方に向けると、そっと静かな声で、独り言のようにつぶやいた。

「長い話です。夜が明けぬうちに、全てを語ることはできないかもしれない」


さらさらと衣を揺らしながら上着の合わせを整えると、侍女を呼んだ。

「もちろん、酒もお出し致しますよ、つまらない話に付き合わせることが分かっているのに、聴き手になにも振舞わない話し手など

おりましょうか。それに・・・・私も少し、今夜は酒の力を借りた方が好さそうです」


やってきた侍女に上着の替えと柔らかな布の手拭を頼むと、上着を着替え、顔と髪を簡単に拭い、一呼吸ついた。

「さて芭阿流殿、私に酒を飲ませたくなっても、話し終えるまでは貴方の手酌は遠慮させて頂きますよ。終わりにまだ私に

酒を振舞いたいとお思いであれば、その時は黙って受けましょう。どんな飲みかたでも、この酒は美味いですからね」


芭阿流がふん、と鼻を小さく鳴らすと、阿木は一口酒を飲んで、話し始めた。


「貴方がたは、夢器という言葉をご存じか。」

むき、と四津樹が息を飲んで繰り返した。

芭阿流は目を見開いたが、すぐに険しい声で言った。

「それは」

低く、怒りが零れ落ちそうなほどの声だった。

「夢器であるからお前の言うことは絶対だと言いたいのか」

ゆっくりを頭を左右に振ると、自らの手の甲を指の腹で撫でて阿木は目を伏せたまま言った。

「いいえ。ですが、さして違いはありませんね。夢器というのは私もそうですが、倶璃姫に関しての夢を受けたのは赫殿です。」


「赫殿と言えば、強大な力であなたのお父上を補佐している、冗荏の宰相殿のことでしょうな。しかし・・・」

「ええ、赫殿の名前は広く知れ渡っていますが、夢器であることは今初めて外の国の方にお話しました。」


四津樹の怪訝な声に素早く、しかし穏やかに答えて言った。

しかし、あまりにも穏やかな口調は、まるで何かに酔っているかのようだった。芭阿流が頭から飲ませた酒に酔ったのだろうか。


「夢器というのはそれだけでも大きな役割を果たさなければならぬ身。私はまだ赫殿の足元には及びませんが、日々、紗の薄さほどでもいい、

成長しようと心がけてから幾年か過ごし、今はそれなりの夢衣を着込むことが出来ているように思います。いや、しかしやはり至らないものには変わりませんが。」

自嘲するように言った口元は優しく歪んで己の壮絶な色香を怪しく漂わせた。


夢器は、夢占をする者とは比べ物にならぬ人種であった。眠る度に何がしかの夢を見、そのほとんどは未来、もしくは過去であった。

そして、それが間違っていることはまずない。起こったこと、これから起こること。全部皆事実であるという。

未来であれば、その定めから逃れることは出来ないとされている。

卓で転寝をしていても夢に抱かれるために、精神を病む者も少なくない。夢器は大勢いるが、その力を制御し、己として強く生きることができるのは

ほんの、一握りに過ぎない。子供の頃に夢器であるとわかると、ほとんどの親は絶望を味わう。もって十年。それ以上生きられても最早過去と未来の

中で彷徨って命を削られる者が大半であった。阿木と赫は、その零れ落ちた内の、貴重な二滴であった。




「10年前のある日、私は緑の瞳に覗きこまれる夢を見ました。とても、とても美しかった。」

夢見心地で言った声は、掠れ、倶璃の頬を撫でるかのように部屋に響いた。見えない声が、人の姿となって倶璃を抱きしめているのではと

芭阿流は倶璃に目を向けた。落ち着かないのは皆同じだろう。四津樹も顔色が悪い。



「水に沈んだ、夏の翡翠のようでした。その翡翠はやがて頬笑み、私を包みこみ、安堵と喜びをもたらした」


酒を一口飲むと、口をつけたまま杯のふちを見つめてから、その向こうで自分を睨む芭阿流の瞳をじっと見た。

「邂逅の喜び、です」


四津樹はかすかに目を伏せると、耳飾りに触れた。芭阿流の眼はもう赫を何度射殺したかという程の鋭さを帯びていた。

「その日の朝、私は走って神殿まで行ったのです。冗荏の神に祈り、夢を永遠に私のものにしてくれと頼む為にね」


寂しそうに笑う阿木は、先ほどよりも潤み、鮮やかになった銀色の眼を空に留めた。

しかし、と続けた声はほとんど聞き取れないほどの小ささだった。

「神棚まで行く前に、赫殿の後ろ姿を見つけてしまいましてね。私は当時、いえ、今でもですが、赫殿が苦手だったのです。

得体の知れない男だと。いつも神殿の奥に籠って、何をしているのかさえ知らない。言葉を交わしたこともない。しかし、

その日の朝は偶然、出会ったのです。まるで、夜に見た夢を共有しろと導かれたように、です。赫殿は私を見てすぐに、微笑んで言いました」






―あの娘の瞳はなんと美しいのだろう。若葉や水底の翡翠のような、美しさ。あれはいずれこの国に来るだろう。
  
 お前は夏の日差しの中で、私は星の見える夜空でその娘の瞳を覗き込み、己が映っているのを見るだろう。






溜息をついてから、阿木は眼を上げてつぶやいた。

「よい、夢であった。」




この口調で部屋は恐ろしいほど静まり返った。

邪悪な笑みを浮かべ、阿木が酒を飲みほすと、静寂は四津樹の耳飾りに寄りかかり、逃げて行った。四津樹が静かに震えたのだった。

芭阿流は沈黙を破った耳飾りの音色を片耳で聴きながら、左手を自分の右の袂に運ばせた。

阿木の瞳は、今は金の色に燃えて瞳孔は獣のように縦に開いていた。


「この娘の瞳に映った今宵の星は、随分と冴えていた。」



貴様、と言った芭阿流の唸り声と、投げた小刀の風を切る音で、四津樹も勢い良く立ちあがって自分の簪を抜いて阿木に投げつけた。


「これはこれは。姫君が勇ましいことだ。」

余裕で阿木が避けた小刀は、頬のすぐ横の柱に深く突き刺さっていた。簪は美しい掌に納まり、鈴やかなしゃらりという音が

赫の微笑の横で灯光を反射していた。頬に簪の光がいくつかゆらゆらと散って、投げつけられた余韻を残していた。


金の瞳は炎の色を帯びて一層強く輝いた。




「貴、様」


食いしばった歯の間から、烏吠はやっとそれだけを口にした。




「夜も、更けた。」


底冷えするような恐ろしい声で言ってから、面倒そうに簪を床に放って戸口の方へ歩いて行くと、戸口から出ていく前に「阿木」は霞のように姿を消した。

「待て!!!」

烏吠の怒号は空しく消えて溶けていった。

床に捨てられた簪が不気味な影を床に落とし、冷たく光っていた。










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